ひさびさに投稿
去年の9月頃からまったく記事を書いていなかったが、その間僕は何をしていたかというとコースのテキストを読んでました。
現在629ページの第二十三章自分自身との戦いに差し掛かるところまでやってきた。
何としても今回ばかりは続けて読もうとどんなに眠くても、また仕事が不調で意味不明な時も、そういう大変な自分を無視してテキストを読んでました。
僕が自分自身を赦してないから、職場でときたま理不尽な仕打ちを受けたりするとこがあったりしたけど、それに対して意見もせず、ただただ毎朝コースを読んでました。
でも、職場で余りにも無碍なことをされるので、ある朝スマホに付箋のアプリをインストールしてそこにこんなことを聖霊に対して書き記してみました。
わたしは平安を望みます
この三日後、なんと僕は別の部署に配置転換されたのでした。
こういう形のレベルでの変化をコースの学習者は望む傾向にあるらしいのですが、本当はコースを学んでいても何も起こらない人もいるし、どうやらそういうことのほうが稀みたいなのです。
でも、そんなことが起きてとても救われた感がありました
聖霊にはいつも感謝ですね
これまでなら1年かかっていたことが2,3日で成し遂げられてしまう
そんな時間の消滅が幾度となくありました
ことの変化を聖霊にお願いするのではなく、不安で心が晴れないからどうか助けて欲しいとか、嫌な気持ちを消して欲しいとか、心のごちゃまんとしたものを消去してもらいたいとか、そんな感じで聖霊にお願いすると良いみたいです。
ものごとの変化をお願いするのではなく、あくまでも心の変化を聖霊にお願いするのが良いようです。
とにかく自分達は、自分自身に対する罪悪感を癒やすことが重要であるようです。
コースを学ぶことは…
コースを読む、学ぶってことは
日常で実践することなんですよね
読んで理解するって言うより、イエスも言ってるけど、赦しを実践することが何よりも大事
だって読んで理解するやいなや、赦しを必要とすることに随時僕たちは接しているんですから
地獄みたいに思えることも赦していると天国に変わる瞬間があります
それが奇跡なんですね
今日の聖霊
静かに
何も起こらないし
何も起きていないから
君の時間の中で静かに
過ぎるだけなんだよ
静けさの中に消えてゆく
黙って見ているんだよ